人材の能力評価に役立つ労働の成果の測り方と労働者の評価方法は

ビジネスライフ

人材の能力評価はどうすれば良い?

労働の成果の測り方として、人材の能力評価をどのようにすればいいでしょうか。

あるべき労働者の仕事の評価方法について考えてみます。

労働に限らず、人間の活動の成果は、どれも時間と集中と工夫の結果として決まると考えられます。

そのため、労働の成果も、「時間×集中×工夫」の方程式で成り立っていると考えることができます。

一般的に、労働の成果の場合は、集中は情熱モチベーションといわれることが多く、工夫は生産性といい方が多く使われます。

労働の成果=労働時間×情熱×生産性

適切な人材の能力評価をするために、この労働の成果の構成要素について考えてみます。

まず、労働の量に相当するのが労働時間です。

従来、労働の貢献度を測るモノサシは労働時間が中心でした。

そのため、労働者のがんばりは労働時間により評価されることが多く、給与体系も(形式的に職務給や職能給、年功給の形をとっていたとしても)実質的に時間給になっていました。

一方で、情熱およびモチベーションは、どれだけ仕事に集中して取り組んだのかということです。

モチベーションが高い状態で働けば、労働のパフォーマンスはそれだけ高くなります。

そして、生産性はいかに工夫して仕事に取り組むかということを意味します。

労働者の労働の成果を生産性で評価する流れも

最近、働き方として、国レベルでも個人のレベルでも労働における生産性に注目が集まっています。

具体的な例としては、個々の労働者レベルでいえば、Excelで簡単なプログラムであるマクロを組むことから、仕事の進め方そのものを変えて効率化することなどが工夫であり、生産性を高めることにつながります。

また、トップマネジメントである経営者レベルでいえば、AIによる業務補助やRPA(ロボット・プロセス・オートメーション)の仕組みを導入して業務を自動化することなどが工夫であり、企業全体の生産性を高めることになります。

2018年に成立した高プロ(高度プロフェッショナル)制度といわれるホワイトカラー・エグゼンプションは、賃金水準の高い労働者を時間以外の要素で評価するものだといえます。

上述のように、すべての労働のアウトプットは時間と集中と工夫(労働時間と情熱と生産性)の方程式で成り立っています。

高度プロフェッショナル制度は経営側に乱用されるおそれがあるとして批判されることが多いですが、労働そのものが時間と集中と工夫(労働時間と情熱と生産性)の3要素から成り立っているのですから、労働の成果を評価するモノサシさえしっかりしていれば、3要素すべてを評価基準とする方向に移行していくのが妥当なのではないでしょうか。

その点で、時間を中心に労働の成果の評価する給与制度は問題があるといわざるを得ません。

ただし、集中や工夫(情熱や生産性)については、なかなか定量的には把握できないので、現在は人事考課などの評価制度という形で反映されている事が多いと思われます。

ですが、これからは評価基準の中で集中や工夫(情熱や生産性)といった要素が評価される比重は高まっていくものと思われますし、いずれはより客観的な評価尺度により集中や工夫も評価されるようになると思われます。

たとえば、メガネなどのウェアラブル端末により作業時間中の労働者の集中の度合いを客観的に測定するようなこともこれからは増えていくと思われます。

また、斬新な経営で知られる未来工業はアイデアを出すごとにどんなアイデアでも500円支給しているそうです。(「出すだけで500円もらえる提案改善制度」)

これは工夫を定量化し、従業員に創意工夫を促す仕組みだといえます。

ですから、これからのあるべき人材の能力評価の姿は、労働者の労働を時間だけでなく、時間、集中、工夫の3つで評価する形になるのではないでしょうか。

そして、その場合、評価の対象は高賃金の労働者に限らないのではないかと思われます。

時間・集中・工夫の3つで労働を評価することと成果主義の違い

なお、人材の能力評価として、3要素のすべてで労働の貢献度を評価することは、単純な結果だけで成果を測る成果主義とは違います

その点、時間ではなく成果で労働者の労働を評価しようとする高度プロフェッショナル制度は成果主義のあらわれであり、3要素すべてで労働を評価することとは明確な違いがあります。

結果だけで判断する成果主義はややもすると冷たい側面もありますが、労働者のがんばりを時間だけでなく、集中や工夫も含めて多面的に評価することはより平等な評価につながるものと考えます。

仮に労働時間はしっかり働いているけれど、集中も工夫も低水準の労働者の場合、将来の新しい評価基準では低い評価にならざるを得ません。

なお、このような人材が評価基準が変わることで生活が苦しくなった場合、それを支えるのは企業ではなく、社会保障の仕事です。

社会的には、そのような低評価となりうる労働者でも働いたら働いただけ得になるような仕組み(たとえば負の所得税のように所得税と社会保障(生活保護)を統合する仕組み)を設けることで、セーフティネットを拡充しておく必要があると思います。

また、このようなセーフティネットの整備は仮にホワイトカラー・エグゼンプションの対象を拡大する場合にも実施する必要があると考えられます。

労働者ではなく経営者こそ成果主義によるべき

また、労働者が労働の成果をあげるには、時間と集中と工夫だけでなく、正しい方向性が必要になります。

正しくない方向にいくらがんばっても正しくない結果を得るだけですから、仕事においても正しい方向性を向いたうえで、がんばる必要があります。

ですが、企業においてビジネスの方向性を決めることは戦略策定にほかならず、それは第一義的には経営者の仕事です。

ですから、経営者は方向性の選択が正しかったのかを結果責任として厳しく問われますが、労働者としてはがんばっていさえいれば、成果があがらなくともある程度の評価はされるべきです。

いままではその「がんばり」が時間を中心に測られていたため評価が歪になっていました。

これからは技術の進歩に伴う新しい評価基準や評価方法を活用することで労働者の「がんばり」を時間と集中と工夫で測るようになっていくものと思われます。

労働者も自らの方向性を定め計画を立てる

さきほど述べたように、労働者は成果が上がらなくても、その「がんばり」によりある程度の評価はされるべきです。

として、「ある程度」と留保したのは、労働者も自ら方向性として計画を立てて、その計画を実行する立場にあるからです。

経営学者のアンゾフは企業の意思決定には、トップが行う戦略的意思決定、中間管理職がする管理的意思決定、そして現場レベルでの業務的意思決定の3つがあるとしています。

そして、それぞれの意思決定は戦略的計画管理的計画業務的計画という計画として策定されるとします。

このうち現場レベルでの計画である業務的計画を立てて、それを実行していくのは現場の労働者であり、その達成・不達成の責任を追うのも基本的には現場の労働者になります。(もちろん計画がトップダウンで降ってくるような場合は、この理屈はあてはまりません。)

また、労働者自らが計画(目標)を立てて実行していくことは、経営学でいう目標による管理にも役立ちます。

目標による管理とは、モチベーション理論における用語で、各従業員が組織目標に適合する自己の目標を上司と相談によって設定することで、従業員のモチベーションを高める仕組みです。

労働者自らが自分の業務における計画を目標として定め、実行し、そのフィードバックを受けることは、このような目標による管理にも役立つことから、計画の達成の結果についての責任を労働者が負うことにも一定の合理性があるといえます。

そのため、自分で立てた計画の結果については、労働者本人が責任を負うことになりますが、それ以外のたとえば部や課の全体の業績については、「結果」ではなく時間、集中、工夫の3要素を踏まえた「がんばり」によって評価されるのが望ましいと考えます。

「成果」から「がんばり」へ評価基準を転換すること、それが人材の能力を適切に評価する労働者の評価方法のあるべき姿といえるのではないでしょうか。