好景気の歴史|経済財政史における日本の4つの好景気

2019年5月19日勉強, 経済財政史, 財政学

高度経済成長期と日本の好景気

1950年(昭和25年)の朝鮮戦争でアメリカに対する軍需物資の輸出を行ったおかげで戦後の日本経済は回復に向かいます。これを朝鮮特需といいます。

この朝鮮特需による経済の回復で、日本は高度成長期に入っていきます。

高度成長期とは、だいたい1955年~1973年までの時期であり、日本の経済が非常に調子がよかった時期です。

経済が戦前の水準に復帰した1955年以降、1973年の第1次オイル・ショックまでの時期を高度成長期といいます。

神武景気と三種の神器

まず、1955年(昭和30年)に神武景気とよばれる好景気がやってきます。

戦後の日本経済では好景気がいくつか出てきますが、その時期と名前と特徴についてみていきます。

まず、この神武景気では「三種の神器」とよばれる白黒テレビ洗濯機冷蔵庫が普及しました。

[chat name="ビジトウベン" border="blue" bg="none"] 神武景気と三種の神器、どちらも神の字(カミの字)がついているので、覚えやすいですね。 [/chat]

また、1955年(昭和30年)は、日本がGATTに加盟した年です。

GATT(General Agreement on Tariffs and Trade)とは、貿易と関税に関する一般協定であり、後のWTOの基礎となりました。

また、この時期は、景気の過熱による輸入が増大した時期であり、経常収支が悪化した時期でした。

これに対する対策は、金融政策が中心で財政政策はあまり用いられませんでした。

岩戸景気とはじめての2ケタ成長

その後、1957年(昭和32年)になべ底不況という不況を経て、1958年(昭和33年)に岩戸景気という好景気がやってきます。

この岩戸景気後の1960年(昭和35年)にわが国の実質GDP成長率が初めて2ケタ成長を記録します。これは国内総生産であるGDPの実質成長率が年率10%を超える高い成長率を記録したことを意味します。

また、1960年には時の(安倍総理大臣の祖父である)岸信介内閣により「貿易・為替自由化計画大綱」が策定されます。

岸内閣により策定された「貿易・為替自由化計画大綱」は輸入制限による国内産業保護の批判を受けて決定されたものですが、これにより商品ごとの自由化を段階的に進められることが決定されました。

また、同年(1960年)、池田内閣により有名な国民所得倍増計画が立てられます。

この後、1963年(昭和38年)に日本はGATT11条国に移行し、ついで1964年(昭和39年)には、IMF8条国に移行します。

これはGATTやIMF(国際通貨基金)のそれぞれの加盟国として、より責任ある地位についたということを意味します。

オリンピック景気と東京オリンピック

そして、1964年(昭和39年)には日本はOECDに加盟します。

[chat name="ビジトウベン" border="blue" bg="none"] この1964年にわが国が先進国クラブとよばれるOECDに加盟したことは、経済財政史的には重要な年号になります。 [/chat]

また、これと同じ1964年には、東京オリンピックが開催され、オリンピック景気と呼ばれる好景気がやってくることになります。

ですが この直後の1965年(昭和40年)には、証券会社がつぶれそうになるという証券不況が起こりました。これを昭和40年不況または証券不況といいます。

これに対する対策として証券会社に対し、日銀による特別融資が行われます。これを日銀特融といいます。具体的には、補正予算によりいまでいう特例国債を発行しました。

これが戦後初の国債の発行になります。このときの40年不況の対策としては、赤字国債でしたが翌年度(昭和41年度)以降は、建設国債に切り替えられ国債は発行され続けています。

いざなぎ景気(かつての戦後最長の好景気)

この昭和40年の不況を抜けると、日本経済はいざなぎ景気といわれる好景気に入ります。

1965年(昭和40年)いざなぎ景気は20世紀後半における最長の好景気になります。

このいざなぎ景気は、ながらく戦後最長の好景気とされてきましたが、小泉政権時以降の好景気やアベノミクスにおける好景気のほうが期間としては長いため、ここでは20世紀後半における最長の好景気というよくわからない表現になっています。