財政学

ハーヴェイロードの前提とは|経済学・財政学における意味と批判をわかりやすく解説

ハーヴェイロードの前提とは

ハーヴェイロードの前提とは、ケインズ経済学において財政政策・金融政策は知的エリートが実行すべきであるという前提のことです。

知的エリート(および知的エリートが率いる政府)がケインズの主張する総需要管理政策を「正しく」実行することで望ましい国民所得の水準を実現できるというのがハーヴェイロードの前提の趣旨になります。

ケインズは、市場に対する過度の信頼を放棄して、総需要管理政策による積極的な財政政策や金融緩和政策を主張しました。

総需要管理政策は、完全雇用を達成するために政府が積極的に需要を創り出す政策であり、不況期財政支出の増大と減税を行って、好況期財政支出の減少と増税を行うことで経済の安定化を図る政策が総需要管理政策になります。

つまり、政府(および知的エリート)がポピュリズムに陥ることなく財政政策・金融政策といった総需要管理政策を実施することでケインズ経済学は有効に機能することになるというのがハーヴェイロードの前提の考えになります。

ハーヴェイロードの前提の提唱者

ハーヴェイロードの前提は、経済成長論におけるハロッド=ドーマーの経済成長論で有名なハロッドにより主張されました。

ハロッド=ドーマーの経済成長論というのは、最適な経済成長である適正成長の状態というのは(ナイフの刃の上のような)不安定な状態であり、政府の政策を必要とするという理論です(ナイフエッジ原理)。

ハロッドはケインジアンなので、ハーヴェイロードの前提が有効に機能することで、ケインズ経済学の有効性を唱えました。

ハーヴェイロードの前提の由来

ハーヴェイロード(ハーベイロード)というのは、ケインズが住んでいたイギリスのケンブリッジの通りの名前のことです。

ハーヴェイロードの付近には、ケンブリッジ大学もあり、イギリスの知的エリートが多く集まっていることも名前の由来になっていそうです。

ハーヴェイロードの前提への批判

ハーヴェイロードの前提を批判したのは、ブキャナンです。

ブキャナン(およびR.E.ワグナー)の理論のことを公共選択論といいます。

ブキャナン、ワグナーのワグナーはドイツ財政学で有名なアドルフ・ワグナーとは別人ですので注意します。

ブキャナンはこの公共選択論でケインズ的な積極的な財政政策を批判しました。

公共選択論の内容ですが、議会制民主主義では、不況期の財政赤字をまかなうための好況期の増税や財政支出の削減は、政策を実行する議員が選挙を意識するためなされないというのがその内容になります。

議員は選挙で負けないようにするためにたとえ好景気でも国民から嫌われるような増税や公共事業の削減というものを自発的に行おうとはしません。

そのため、財政支出は不況時には積極的に行われるのに対して、好況時には減らさなければいけないのにきちんと減らされないということになってしまいます。

このように不況期と好況期とで財政政策が対称的に運営されていないことを財政政策の非対称性いいます。

財政政策の非対称性のイメージですが、おもちゃのやじろべえのように積極的な政策と緊縮的な政策のバランスがとれている状況が財政政策が対称的な状態、積極的な政策ばかり実施され、緊縮的な政策は行われないというようにバランスがとれていない状態が財政政策が非対称的な状態だとイメージします。

このような財政政策の非対称性が認められる場合財政支出は、無分別に増大することになるので、結局、政府の規模が肥大化し、財政赤字が常態化することになります。

好況のときは、財政支出は減らないのに対し、不況になると、財政支出が無分別に増えてしまうことから、結局、常に支出が過大になり、財政赤字は拡大していくことになります。

ブキャナン、ワグナーの公共選択論においても、経費が膨張するという表現が使われることがあります。

これとドイツ財政学の論者であるアドルフ・ワグナー経費膨張の法則とは混同しないように注意します。

アドルフ・ワグナーは、帝国主義税制を主張し、その結果として、経費が膨張しても仕方ないんだといっています。

これに対して、ブキャナン、ワグナーは、議会制民主主義では経費が膨張してしまってダメなんだといっています。

両者は真逆のことをいっていますので、違いに注意します。

ケインズは、本来、エリートにより好況時には増税や政府支出の削減がなされることを前提に総需要管理政策を主張しました。

このような前提がハーヴェイロードの前提になります。

しかし、いまみた財政政策の非対称性が存在する場合、たとえエリートが政策を実行したとしてもケインズが前提としたハーヴェイ・ロードの前提が機能しないことになってしまします。

これがブキャナンによるハーヴェイロードの前提への批判になります。